戦わなければならない
長いこと忘れていました、川本真琴さん。
彼女の歌のイメージってこんな感じ。
例のニュースで思い出したんですけどね。川本真琴さんのメジャーデビュー、私が高校生でしたか。
いま思えば、ハタチそこらの女の子が、すごい音楽を奏でていたんですね。また、声がかわいらしくて。当時まだまだコドモだった私にはその歌詞は刺激が強すぎましたが、今聴くと、その十代後半の女の子の心情はちょっとこそばゆかったりもします。
そういえばアタシ、CD持っていたわ。今度実家に帰った時に探してみよう。
というところで、帰国するかも、という話なんですけど。
現在、移民局によるビザの審査を待っているんです。
そしてなんだか前途多難の様相を呈しております。
オーストラリアに来てから何度かビザを切り替えて、今まで特にトラブルに合ったことはないんですが、今回、初めて移民局に電話をしたり、プロのエージェントに助けを求める事態になり…。
私はとても慎重なタチ。ビザ申請にあたり、何度も政府のウェブサイトや配布されている資料を読み、申請書も頭が痛くなるほど幾度と見直しました。移民局のスタッフとのやりとりも何度かあり、指示に従ってきました。
にも関わらずのトラブル。
ビザ申請は毎回、本当に胃がキリキリします。
お金、時間、それにかける労力。全てに心と体を削られてしまう感じ。神経質すぎると思われるかもしれないけど、ビザが降りなければ、すぐに荷物をまとめて日本へ帰国、そしてまた新たな生活を始めなければならないわけで、そう楽観的ではいられないわ。
詳細は書きませんが、今回身を持って感じているのは、「自分を守れるのは自分だけ」ということです。
この国では、人々は自尊心がとても強いと感じます。
知らないことを「知らない」とは、なかなか言いません。それゆえ、適当に取り繕った情報を渡されることが多々あります。誰かの人生が左右されることなど考えない。ビザ申請者からすれば、それは誤誘導であり、嘘となります。人の立場に立って考えるという、基本的な接し方ができないのかな。知人間のやりとり、というならまだしも、サービスを提供者である場合、それは職業倫理としては大問題です(ただの知人同士ならまだ救いがあるのです、関わらなければいいのですから)。
また、こちらが正しいことを言っていても、頭ごなしのNOが返ってくる場合があります。まるで引っ込みがつかないかのように。聞く耳をもたない人も。
どちらのケースでも、まず感情的にならず、相手の威嚇に怯えず、何度かこちらの意見を伝えること。そしてはやいうちに他のスタッフ、上司と話ができるようにすること。電話の場合は難しいかも。オフィスやお店なら、粘れば上司が現れます。
受け身で、素直で従順、だまされても文句も言えず、正しい場所に助けも求める方法も知らないのなら、ここでは生きていけない、と感じます。
私は気が弱いので、こちらに来た当初はNOと言われればすぐに引き下がっていました。けれど、後でよくよく考えてみると、相手の言い分がおかしいとしか思えない場合が何回もありました。そうしてようやく気づいたのです。この国ではサービスの窓口が適当なことを。
そうしてアタシは少しずつ、戦う術を身につけました。
けれど今でも何らかの手続きを行わなければならない時、どこかのオフィスへ出向かなければならない時、ものすごく気が重くなます。いつも気が抜けない。
救いは、その分たまにとても親切な人に出会うと、とんでもなく’’幸せな気分になることかしら。
アタシたちの常識じゃない
アイデンティティの崩壊にさえつながりがねない、異国での暮らし。
日本人ならこの国で、いろんなことにイライラするだろうって思います。
海外でカルチャーショックはいくらでもあるし、若い子たちならすぐ慣れるでしょうけど。
アタシは海外進出が若くなかったので、完全には適応できないまま。きっとこれからももやもやしながら暮らすことでしょう。
でも、アタシが特に神経質ってわけじゃないと思う。
一番キツイのは、土足の習慣。
家の中に次から次へと泥を持ち込んで来る。ベッドの上には、靴と下着とお菓子の空袋が散乱。コーヒーテーブルに足を投げ出したり、電車なんかで、向かいの席に足を置くし。
びっくりするよりあきれること。電車内に「座席に土足厳禁」の警告が。子供でもわかるでしょ。でもそれはここの常識じゃない。
上も下もない土足文化は、マナー崩壊の一因じゃないかなとすら思う。人に気遣いを感じられない行動を簡単にする、横柄に振る舞うための習慣。
結局、自己中ですよ。だって、めんどくさいからでしょ、脱ぐのが。
先進国だけど、キレイだと思わない。
自分が汚したところは、どうせ誰かがキレイにしてくれるから気にしない。誰かが落としたゴミは、自分のせいじゃないから気にしない。そんな光景をよく見かけます。
ゴミ箱がいっぱいでもゴミを積み上げ、次の瞬間ゴミが落ちても、もうそれは自分のゴミじゃないのね。さっさと立ち去るだけ。
電車内で食べ物をほおばり、その食べくずを自分のお洋服から全部払い落とすとか。電車にゴミを放置して、「仕事をあたえてやってる」って思う人すらいます。
また、スーパーで商品が棚から落ちてても拾わない。それは店員の仕事って態度で無視。
こんなこともありました。アタシの目の前で陳列していた商品に当たって崩した人がいて、アタシが駆け寄って積み直している間、その当人はじっと見てるだけ。アタシを店員と勘違いしたにしろ、ずいぶんな態度だと思うよ。
こんな感じだから、街は汚い。店内も乱れてる。
掃除の時間ってそういうことだったんだ、って思う。
ここの学校、生徒には掃除の時間はなく、業者が代わりに行います。大抵は移民の働き手ね。
おうちでも、母親が身の回りの世話や掃除をすべてしてあげるところがほとんどみたいで。
日本でふつうに組み込まれている掃除の時間は、思いやりの精神を形成しますよ、マジで。
もひとつ日本人にとってショックなのはカスタマーサービス。
もはや、アタシが思うところのサービスとはえらくかけ離れてしまっていて、どうにもならない。
他人への思いやりが足りないんだから、カスタマーサービスの意味、わからないんだろうな。
銀行へ、郵便局でへ、保険会社へ、デパートへ行くたびに、嫌な思いにさせられるんじゃないかと不安になります。
事例はいっぱいありすぎるんだけれど、わからないことを「わかりません、聞いていきます」と言わずに(言えずに)間違ったことをさも正しいように言ったりさ。忙しい時、疲れている時にはそれを隠そうともせず、ため息まじりの対応だったりね。
まとめてしまうと、「自分が一番」的な威圧的な態度がすべての原因。そこになんの思いやりもないです。自分のことばっか。
人の振り見て、と言いますけど、こんなレベルなら、見て直さなくても、日本人なら間違いなく大丈夫。
でも、ここで生きなければならないのが事実。
このマナーの悪さに、非常識さに耐えられない人は日本に帰るんです。帰られない理由があるなら、なんとかしなければならない。
アタシの場合、慣れないし、まだいちいち腹が立つんだけど、少なくともアタシ自身は日本人から見て、非常識じゃない人間でいようと思うことで、どうにかやってます。
悪い意味でオーストラリアかぶれした非常識な日本人を見ると、帰りたくなりますけど。それが一番最悪だわ。
ボクシングデイは出歩くもんじゃない
クリスマスが終わると、間髪入れずにボクシングデイという名の大バーゲン
決してボクシングをする日ではなく、プレゼント、つまりボックスを開ける、を意味する日。でも実質はお買い物デイ。
ゴーストタウン状態だったクリスマスと対照的に、翌日は、狂喜乱舞するショッパーたちが街を埋めつくします。
あの状態で、買い物できるなんてアタシには信じられません。
外へ出なきゃよかったと思いました。
おのれをわきまえず、デパートに筆記用具を求めに出掛けたアタシ。
人、人、人がいっぱい。そして彼らは秩序を知らない。ぶつかっても謝らず、道を塞いで立ち話もきにしない。試合の終わった甲子園のよう。
入り口からのろのろと歩く人々に、すでにうんざりモード突入。
ステーショナリー売り場は、はるか上階。と言っても、ふだんならものの1、2分で到着できます。当たり前ですが。
エスカレーターの麓と頂上にはガードマンたちが配置され、ものものしい雰囲気。どこだよ、ここ。デパートだよ。
みんな、笑ってないし。楽しいはずのショッピングなのに、疲れ果てて、でも流行りに便乗しなきゃ置いてかれちゃう、みたいな顔で。きっと昨日、飲み過ぎたんでしょうけどね。
エスカレーターに乗るため、うねうねと続く長蛇の列に果敢に飛び込む。よくやった、アタシ。でも、すでに腰に痛みを感じはじめていました。
愛想笑いどころか苛立ちを隠さないガードマン。
危険防止かなんなのか、エスカレーターは一列で、一人ずつしか通されず、さらに渋滞悪化。
そうして「一人ずつね!」と、時には客の肩をつかんで制止をはかるガードマンたちの野太い声が響く中、アタシはついにエスカレーターにご搭乗。パーソナルスペースを確保。
しばしの安息が訪れたとき、この状態では例え商品にたどりついても、それをレジに持って行くのにどれだけかかるんだろうと、冷静に考えました。
腰の痛みはどんどん増してくる。無理だ、レジに並ぶなんて無理。
エスカレーターを降車、そしてきびすを返す決心。
一階から二階にあがっただけで、もういいやと。
明日出直し。そう、世界は明日も回っている。なんでアタシわざわざこの日を選んだのでしょう。
アタシには敷居が高すぎるチャレンジでした。満員電車通勤に慣れ親しんだのは、今は遠い昔ということ。
下りのエスカレーターはほとんど並ばずにすみました。
おまけ。
「クリスマスは終わったんだよ。」
「ぼうや、いいね。」